彼と出会って11年後に結婚

 

>2018年10月3日水曜日

二人で、市役所へ婚姻届提出。

なんとも複雑な気持ち。私たちは、夫婦になった。

 

 

>2007年10月

彼とダマリが出会ったのは、11年前。

転職した新聞社の制作部に、彼はバイト生として働いていた。

ダマリ30歳。彼19歳。

 

彼は、日中は専門学校、夜は新聞社でバイトをして、

自分で学費を納めていた。

11歳も年下なのに、しっかりしていて、かっこいいな。と思っていた。

 

 

>2008年10月

あまり仲良くなれないまま、彼はニュージーランドへワーホリへ行く。とバイトを辞めた。

ダマリは彼に恋をしていたものの、ワーホリへ行く彼の心境を思い、

応援の手紙と「深夜特急」「青年は荒野をめざす」のドラマを焼いたCD-Rをプレゼントをするのが精一杯だった。

 

その頃のダマリは、世界放浪の旅に出る目標を計画していて

彼のニュージーランドは人ごとではなかった。

 

 

>2010年3月

ダマリの世界放浪の旅への出発が迫る中、ふと思い立ち、

旅へ出ることを、以前教えてもらっていた彼の携帯メールに送信してみた。

 

すると応援の返信メールがきて、なおかつ数日後に

旅の写真集と彼のワーホリ写真のCD-Rが送られてきた。

 

旅へ出た後も、幾度か彼とメッセージのやりとりをした。

彼は、専門学校を卒業し会社員になっていた。

 

 

>2011年2月

帰国後「旅の話を聞かせてください」と彼と再会を果たす。

新聞社で出会ってから3年が経っていた。

そこからデートを重ね、付き合うこととなる。

 

 

彼と付き合って8年の間に、別れ話も何度もした。

年齢がひとまわり違うのだから、結婚願望も、ましてや子どもを持って家庭を築くことも

あの頃の自分達には、想像もできなかった。

 

彼と付き合い始めの頃は、母にも祖母にも反対され

ダマリ自信も悩みすぎて、過呼吸になることもあった。

 

それでも、自分自身と彼を信じて

奄美大島、鹿児島、大分とずっと一緒にいて

困難を乗り越え、お互いを支え合ってきた。

 

41歳のダマリにとって、結婚は特別なことではなく

一つの通過点でしかない。

これからも、今まで通り彼と一緒に人生の旅を楽しもうと思う。


ダマリ父はMr.クリーン

 

父は、ダマリが小3ぐらいの時に独学で調理師免許を取得し

家の敷地内に「カフェテリアBON」という店を作った。

が、両親が離婚するとともに、店じまい。

 

それからの父は、空港の飲食店やスーパーの惣菜・鮮魚などで働き

ダマリと弟を育ててくれた。

今は、病院の病院食を作っている。

 

病院の食事を作り出して、かれこれ15年くらい経つだろうか。

病院食を通じて、父はMr.クリーンへ変貌を遂げた。

実家に帰ると、男ヤマメとは思えないほどピッカピカ。特に水回りは、徹底されている。

 

なぜ、こうなったか?

病院食は、決して食中毒をおこしてはならない

管理が徹底されている。

 

そして、患者によって作り分けがなされていて

食事療法をしている患者さんの病院食は、

とてもシビアなもの。

 

病院に務めるようになってから、

父は、ナマモノをあまり食べなくなった。

特に食中毒の危険があるため、貝類は絶対食べない。

 

病院食を作る人たちは、自分達の健康管理がとても重要で

「殺菌消毒」とは、常に友達であるww

 

この間、実家に帰って「なるほど!」ということがあった。

大抵の家では、食事をする前にテーブルを洗って絞ったフキンで拭く。

しかし、Mr.クリーンは違う。

 

片手に除菌スプレー、もう片手にキッチンペーパー。

テーブルにスプレーをシュシュシュとふきかけ、ペーパーで拭き取る。

なんだか、当たり前のようでダマリにとって、今までにない発想だった。

 

「コンビニのおしぼりで拭く」というのが、ダマリにとって良いアイデアだと思っていたが

おしぼりやフキンでテーブルをふくと、どうしても乾きが鈍くてジタジタになるが

除菌スプレーだと、綺麗になるし、拭いた後も乾いて気持ちがいい。

 

フキンだと、洗って干さねばならないし、まめに除菌しないとバイ菌だらけになるし。

よし、ダマリも除菌スプレーにしよう!

と、キッチン用の除菌スプレーを使用。水回りや、スポンジ、まな板にもなんでも使えるし、

日々の掃除や、愛猫がゲロリンパした後も、ささっと拭き取れて大重宝!

 

Mr.クリーンから学ぶことは、本当に多い。

ありがとう、お父さん。


ばあちゃんの味噌汁

 

何年か前に、「美和の作る味噌汁は辛い。甘みが足りない!」

と、ばあちゃんにご指摘を受けた。

 

それまでの私の作る味噌汁といえば、豆腐に乾燥わかめを入れただけのもの。

そこに、刻み菜っ葉をいれるか、時々大根。

そしてネギを散らす程度だった。

 

確かに、ばあちゃんの作る味噌汁は野菜の甘さが美味いし

沢山の具材が入っていて、クタクタに煮込まれていて、なんともいえない。

 

ばあちゃんの買い物に同行すると

毎回かかせないのが豆腐厚揚げか棒天。

これを入れないと、出汁やコクが出ないという。

 

そして、甘みの野菜として玉ねぎはもちろんのこと

根菜類の、じゃがいも、カボチャ、人参、里芋、大根、たけのこ、ごぼうは必ず数種類。

自家菜園で補えなかった野菜を購入する。

 

この根菜類が煮崩れる程煮込んだ味噌汁が、美味しい。

 

そして出汁も違う。

荒節を削ったもの、そして、いりこを入れる。半生干し椎茸は自家製をドボン。

味噌もカスを取らずに、そのまま溶かし入れる。

 

ばあちゃんに、「甘み」の指摘を受けてからというもの

料理を作る際に意識するようになった。

 

鹿児島では、ヘチマを使った料理がある。

ばあちゃんはいつも、ヘチマと玉ねぎ、豚肉を味噌・三温糖・出汁で

クッタクタに煮込んだ料理を作ってくれていた。

 

私が真似て作ると、やはり「甘み」が足りず

その時は、「煮込み方が足らん!」とご指摘。

田舎料理って、とことん煮込んで野菜の旨味を出し切るんだなぁ。

 

最近、祖母の味を真似て煮物やお煮〆を作る。

ばあちゃんいわく、一番出汁がでるさつま揚げは、イワシの棒天らしい。

 

もう、2度と台所には立てないばあちゃん。

ばあちゃんの味も引き継いでいきたい。そう思う。


今日の一枚「お父さん大好き」

 

もうすぐ父の日。

今回の手紙には、「お父さん大好き」と書こうかと思っている。

恥ずかしくても、お互いが元気なうちに、伝えるべき言葉だ。

 

私が小学5年の時に両親は離婚。

私は迷わず、「お父さんの方に残る」と母に告げた。

 

父は優しい。

怒られたことあるかな?

 

ただ、3度だけ、父が強く反対してきたことがあった。

・高校3年/デザイン学校へ行く!と言った時

・26才/青年海外協力隊へ行く!と言った時

・26才/母の住む奄美大島に移住する!と言った時

 

これ以外のことは、何を言っても

「気をつけろよ」この一言だけ。

 

父は、あまのじゃくだから、

酔った時に、本音が出たりする。

これは、弟もソックリ。

 

でも、父は、私と弟を大事に育ててくれた。

休みには、遊びにも連れて行ってくれたし、

いつも美味しいご飯を食べさせてくれた。

 

夏休みは、母のところへ行く許可もくれたし

母がいなくても、いつも寂しくなかった。

 

一番ありがたく思っているのは

父が昔からカメラ小僧だったってこと。

写真がたくさんある。これは、宝物だ。

 

父を好きな国へ連れて行けるように。

大好きな父と海外旅行ができるように。

少しづつ、恩返しをしていく。

ばあちゃんと最後の田植え

 

 

2016年。母が5月に亡くなったあと、

ダマリは3カ月、実家で過ごした。

この3カ月のお陰で、心の修復が早かったように思う。

 

特に、祖母と毎日過ごせたし

田植え、梅干しなどなど

祖母の暮らしに寄り添うことで、色々なことを学べた。

 

そして、その3カ月は、今思えば、神様が与えてくれた

ばあちゃんとの濃密な宝物の時間だったと言える。

祖母は2017年に脳梗塞となり、思うように動けなくなった。

 

 

ふりかえると、祖母にとって「最後の田植え」となってしまった、この写真を撮影した日、

私は、なんとなくだが「もしかして、ばあちゃんとの田植えはこれが最後になるかもしれない」と

そんなことを、思ってしまっていた。

 

 

田植えは基本的に、機械でするのだが

この時は、「あともう少しで終わる!」って時に、機械が途中で故障してしまい、

残りの苗を、手植えをすることになってしまった。

 

 

ばあちゃんと二人で、残りの苗を手植えしたあの日。

360度深い森に囲まれ、空は高く、聞こえるのは鳥のさえずりと、川のせせらぎ、

そして、普段があまり感じることができない、風の音を常に感じていた。

 

目に入る色は、眩しい黄緑。

風に揺られ、水田が光り、苗が揺らぐ。

祖母も私も、無言で作業をもくもくと進めた。

 

 

 

すくすく育ってね。

 

 

川の水で、農作業技を洗う。

小・中学生の夏休みは、ここの川で友達と水遊びをした。

この日は、工事の土砂が混じって濁っていた。

 

 

田の神たのかんさぁへ、苗をお供え。

今年もお米が無事に収穫できますように。

 

 

祖母は、もう、農作業をすることはできない。

実質、この時が祖母にとっての、最後の田植えになってしまった。

 

父と弟が、田植えを引き継いでいる。

自家米をいただける環境に感謝。恵みに感謝。祖父母に感謝。

 

ばあちゃん、もうすぐ帰省するからね。待っててね。

田植えの話をしようね。


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プロフィール

グラフィックデザイナー・ダマリ
広告制作実績6000件。鹿児島県出身。趣味・乗馬、弓道弐段、フルマラソン3回完走、調理師免許取得、海外渡航22ヵ国。広告制作会社、新聞社等デザイン歴20年。2018年8月でデザイン屋Damalish.com3年目。現在、大分県にダーリン、黒猫と在住。
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